校長より

2024年12月の記事一覧

12月。この時期と言えば……。

いよいよ12月。今年も残りわずかとなりました。
岩内高校では、毎年この時期になると茶華道部を中心に有志の生徒たちがクリスマスツリーを飾ってくれます。さいわい本校の生徒玄関ホールは広く明るく、見栄えの良い作りになっています。しかも今朝は背景の中庭にうっすら雪まで積もっていて、いわゆる「映えスポット」になりました。

そんな風景を眺めながら、自分なりの「この時期と言えば…」という、毎年思い出される思い出を今年も思い浮かべていました。今日はその思い出について書き留めておこうと思います。

時は遡って1980年(昭和55年)12月9日。たぶん午後3時半くらい。いたいけな中学校3年生だった私が「もうすぐ冬休み♪。ついでに受検勉強でもやろうかな♫」とか、ふざけた気分で帰宅したときのこと。母親から告げられた一言で腰を抜かすほど全身の力が抜けてしまいました。「聞いたかい?ジョンレノンが亡くなったよ。」ものすごい衝撃でした。
補足:一般的にジョンの命日は12月8日とされています。しかし8日は現地米国の日付なので、日本では9日に当たります。とはいえ、一般的に12月8日で通用していますし、私も毎年12月8日に喪に服します。

ジョンレノンという人物について、改めて説明する必要は無いと思いますが、20世紀を代表するアーティストである「ザ・ビートルズ」の一員です。私自身はリアルタイムでビートルズの活動を目の当たりにしている世代ではありません。しかし洋楽に興味を持ったからには必ず立ち寄る偉大なグループですし、その名声を知れば誰もが奥深く知ってみたくなるグループだと思います。また、ジョンは亡くなる直前にそれまで休止していた音楽活動を再開してアルバムを発表。その中に収録されていた「スターティングオーバー」という曲はジョンの活動再開を祝うかのように常にラジオで流れ続けていました。私には世界中がジョンの活動再開に大きな期待を込めて歓迎しているように感じていました。そうした雰囲気に私もワクワクが止まらなかったのですが、そんなさなかにジョンは射殺されてしまいました。世界中が一気に喪失感で静まりかえりました。それくらい世界中に影響を与える出来事だろうと、中学生ながらに感じていましたし、実際に大きな影響を与えた出来事でした。

この後しばらくのあいだラジオは(たぶんテレビも)ジョンを追悼する番組が多かったと思います。そうした番組の中では、時期がちょうどクリスマス時期と重なっていたので、「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」というジョンとオノヨーコ名義で1971年に発表された曲が必ず最後に流されていました。こうしたことから私にとってはワムでもなく、マライヤキャリーでもなく、この曲が思い出のクリスマスソングとなり、いまでも12月に入ると必ず聴きたくなる曲なのです。(ただし山下達郎の「クリスマスイブ」は別です。JR東海のシンデレラエクスプレスのCMとリンクして涙が止まらないから。)

自分勝手な思い出話を延々と書いてしまいました。
強烈に思い出に残る音楽には、その思い出にリンクする出来事があるような気がします。現代の高校生たちはどうなのかな?最近の音楽は手軽に聴ける代わりに、思い出に残りにくいのではないかな?と思うことがありますが、きっと時代に取り残されたおじいちゃんのいらない心配なのだろうと自嘲しています。でも、生涯こころに残る音楽に出会ってほしいですよね。

せっかくクリスマスツリーと雪化粧を組み合わせた風景が見える素晴らしい環境にいる岩内高校の生徒たちです。せめてこの風景を思い出として残してほしいなと思います。