校長より

 かつてニシンの千石場所として栄えていた岩内町は日本各地から人々が集まり、活気に満ちた町でした。そんな岩内町ではさまざまな人々の交流によって優れた文化が生み出され、また絵画や文学などの芸術も広く普及し、現在に至るまで岩内町には文化的・芸術的な風土が感じられると言われます。

 こうした背景を持つ岩内町に誕生した岩内高校は今年(令和5年)で開校104年、道内の高校の中でも古い歴史を持つ学校の一つです。本校はこれまで2万人を超える卒業生を輩出し、その卒業生たちは地元岩内町はもとより北海道、そして日本各地で活躍されています。


 

 岩内岳と日本海に面した岩内港の間に位置する本校の校訓は「仰岳大志(ぎょうがくたいし)」「望洋前進(ぼうようぜんしん)」。将来への大きな希望を胸に秘め、その実現に向けてひたすらに前向きに進んでいく本校生徒の姿を、岩内町の自然に照らして表現した校訓です。本校生徒はこの校訓のもと、卒業後のあるべき自分の姿を実現すべく、さまざまな教育活動に取り組んでいます。

  本校は全ての教職員が生徒一人ひとりに寄り添い生徒の自立に向けた成長を支えるとともに、地域への誇りと愛着を育む教育活動をとおして地域に貢献できる人づくりを推進してまいります。今後とも本校の教育活動にご理解とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。 

 

 

令和6年4月               

北海道岩内高等学校長 佐々木 雅 康 

 

校長より

校長室から見える風景

40~50年ほど前の岩高の様子

岩内高校の校長室には昔から使い込まれた本棚があります。ガラス戸から見えるファイルには当面継続して収集する必要がありそうな書類が綴られています。今日の話題はそこではなく、本棚の下部分。木の扉で隠された部分に置かれている書物(?)についてのお話しです。かつて岩内高校に10年間勤めていた私も知らなかった秘密を、今日ここで暴露しますw。なーんて、そんなたいそうな物が隠されているわけではありません。

本棚の隠されたこのスペースに隠されているのは、実は過去からの遺産、長年に渡る生徒会誌(多くの学校で毎年3月に配られる、1年間のクラスや部活動、学校の出来事などを生徒会がまとめて発行した冊子。岩内高校では『網代木(あじろぎ)』と名付けています。)が無造作に並べられているのです。ただし、ここは生徒会室ではないので完全にそろっているわけでもなく、また本当に古い冊子類(きっと卒業アルバムも)は、2度の火災で焼失しているようです。それでも片手で鷲掴みにして取り出してみると、1970年(昭和45年)3月が一番古いようで、そこからほぼ毎年分の『網代木』が出てきます。そこで今回は、だいたい40~50年前にあたる1970年代の『網代木』を眺めてみます。ただし、あちらこちらに写真や個人名が掲載されていますので、内容の詳細な紹介はできません。その当時の高校生全般の雰囲気を懐かしんでいただくだけです。

「今と違うなぁ」あるいは「あ~、懐かしいなぁ」と感じたところをいくつか挙げます。
(1) 生徒がたくさんいる。昭和の頃の岩内高校は1学年8クラス。一クラスは45人だったはずなので、全校生徒は1,080名!そのほかに定時制もあったので、そりゃあ一杯いますよね。今年の岩高は全校生徒195名です。ちなみにこの70年代の岩内町の人口は約25,000人。今の2倍以上の人が住んでいました。
(2) イラストの雰囲気が懐かしい。あの頃のほのぼのしたイラストが随所に描かれています。今も昔も良い雰囲気のイラストを描く友だちっていますよね。

(3) みんな大人っぽい。写真を載せられないのが残念! あの頃の子供たちは、みんな大人にあこがれていたと思います。そのせいか、みんな大人っぽいです。僕の感じるところでは、70年代「大人っぽさ」、80年代「不良っぽさ」、それ以降「子どもっぽさとかわいらしさ」が流行の流れだと思っています。退化してるかも?
(4) クリスマスパーティー?フォークダンス?

これだけは写真を上げさせていただきます。正式な学校行事だったのでしょうか? 生徒会行事なのかなぁ? バック・トゥ・ザ・フューチャーでいうところの『魅惑の深海パーティー』の岩高版でしょうか? 今の生徒はフォークダンスなんて知らないですよね。あのドキドキ感がたまらなかったのに。

ほかにもまだまだ気になるところがありますが、きりがないのでこれくらいにします。過去はこうして懐かしく見ることができますが、過去の生徒たちはまさか自分たちの日常をこんな風に見られるなんて思いもしなかったはず。歴史ある岩高ならではの資料から昔を遡ってみました。機会がありましたら、今度は80年代の岩高の様子を載せてみましょう。

比較的新しい岩高の伝統

わたくし、実は25年ほど前から10年間、岩内高校で働いていました。地歴公民科の先生として、そして演劇部の顧問として私の家族とともに岩内町にお世話になっていました。そして昨年、岩内高校に帰ってきたわけですが、私が岩内高校に勤めていた15年以上前から現在まで続けられている、他校ではあまり見られない風景(?)があります。それは生徒の登校時間、校内に静かなBGMが流れていることです。

私が努めていた頃のあるとき、当時の生徒指導部から「校内の雰囲気を気品高く、そして生徒の気持ちを穏やかにするために、毎朝生徒が登校する時間に合わせてクラシック音楽を校内放送でかけることにします」と提案がありました。当時、多くの先生の頭には「???」が浮かんだことと思います。それでも登校時間にBGMが流れることに反対する理由もなく、「誰がいつ放送をかけるのか?」を確認するくらいで決まったと思います。

実はこの提案が出される数日前に、私は偶然、当時の校長先生からこのことを聞かされていました。だから本当は、その校長先生が生徒指導部にお願いして実現させたことを私は知っていました。
その校長先生の思いとしては「バスの関係で早く登校する生徒もいる。そうした生徒が登校したとき、校内にホテルのロビーのような音楽が流れていたら気分がいいのではないか?他の生徒にも同じことが言えて、心落ち着いて学校の一日が始まるのではなかろうか。流す音楽はモーツァルトがいいな。科学的にもモーツァルトの曲にはさまざまな効果が認められているようだし。」こんなことをお話ししていたのですが、きっとすでに生徒指導部に指示を出された後だったのでしょう。

かくして始まった「朝のBGM」。岩内高校の生徒玄関を入ると眼前が一面のガラス張りで、その先には階段状になっている広い中庭が広がっています。生徒玄関には吹き抜けもあることから抜群の開放感があります。こうした中に登校してきて聞こえてくるのはモーツァルトです。まさに立派なホテルのロビーに足を踏み入れたような気分になれます。

この取り組みを始めてから15年以上たっていますが、先生方は今でも引き継いでくれています。現在は流れている曲がクラシック音楽に限らず、気持が癒やされそうな曲も流れています。本当に効果があるのか?正直に言うと分かりません。ただ登校してきてBGMが流れる中、階段を上り廊下を歩き、教室までの道のりで心が少し軽くなることは間違いありません。始めた当初には先生方からも「いい雰囲気ですね」という声が上がりました。

「生徒に良さそうなこと」を頑なに続けることも、岩内高校いいところかな?と思っています。

階段から見える風景

令和6年度がスタートしました。新入生はもちろん!2,3年生もとても明るい表情で登校しています。新年度にあたって、やる気に満ちていることがよく分かります。

さて、岩内高校は港から少し離れたちょっとした高台にあります。むしろ山の麓、岩内岳の麓にあるといえます。そんな場所にある校舎の東西にある階段から見える風景がたまらんのです。

西階段生徒には当たり前の風景だから気づかないかも知れませんが、初めて岩内高校にやってきて、この景色をご覧になる方はみなさん「なんと素晴らしい」「校訓にある『仰岳大志』はこの風景からですか?」などと、異口同音に感激の感想を述べられます。

一方、先生方にとっても授業など(「など」は大切です。先生方にもいろいろな事情があります)で疲れ切ったとき、職員室に戻る途中でこの風景を見ると、気持ちが、あるいは気分がブチ上がることがあります。そんな素晴らしい風景です。

これをご覧になって興味を持たれた方!ぜひ良い天気の日にお越しください。お越しいただいた方には、もれなく本校生徒たちの気持ちの良い挨拶がついてきます。

皆さんの気分もアゲアゲですw。